簡略写真部史


絵画部の大森啓介がパリ留学中にヨーロッパの写真界に接して、帰国後,
美術展の中に写真部を設けよう、という当時としては画期的な提案をした。
それを受けて、第14回展(1940年)で、国画会草創期に評議員として参加していた
福原信三、野島康三が協力して写真部を興し、運営していった。

美術団体で写真部を設けたのは国画会が最も早く、
その設置の経緯と同時に福原・野島の2人と梅原龍三郎との友情によるものが大きいともいわれる。
こうして発足した写真部の会場は、
当時の観覧者の目を洗うほどの活気と新鮮さに満ちていたという。

発足当時、カメラはまだ一般生活には高価であり、
写真制作処理技術も一般の人々が容易に扱えるものでなかったので、
写真家の人口が極端に少なかった時代であったので当時の人々のその反応にはうなずけるものがある。

その後、写真部の基盤を築く作家たちが入ってきた。
それは入江泰吉、北角玄三、木村伊兵衛、中山岩太、西山清、長濱慶三、ハナヤ勘兵衛、吉川富三ら であり、
彼らの独自にして清新な作風は、会内外の写真愛好家に新たな刺激を与え、
写真を一気に拡げていった。その後一層個性的な表現が広がる中、
科学技術の進歩を内容的に良質なものとし、その裾野をさらに拡大しようとしている。



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